故・戸山調教師がスプリンター血統だったミホノブルボンを1日3~5回の坂路調教で鍛えてスタミナ不足を補い調教により強い馬が作れるという事を証明した馬。
生涯成績 8戦7勝 2着1回(連帯率100%なんだよな)
多くの馬が戸山のハードトレーニングに耐えれずに故障していく中でミホノブルボンは3歳で坂路調教を1日4本こなした。
菊花賞後に故障が判明して休養に入ったが、そのまま復帰する事なく引退した。その間に調教師だった戸山氏も癌で他界する。
くしくもミホノブルボンが日本ダービーを勝った翌年のダービーの日だった。
種牡馬としてのミホノブルボンはすごい活躍馬を出さなかったがファンから愛された馬だったと思う。
唯一ミホノブルボンよりも先にゴールしたライスシャワーは1995年6月4日の宝塚記念のレース中に故障で安楽死している。
前年の阪神・淡路大震災の影響で京都競馬場で行われた宝塚記念は確か観に行ってたはず。
菊花賞(京都競馬場)で初のG1を勝ち、天皇賞・春と京都競馬場の申し子のような馬は京都競馬場で眠る。